ワイルド・アット・ハート 『心の底からWILD』 デヴィッド・リンチ
こんにちは。
今回はカルト映画で有名なデヴィッド・リンチ監督作、「ワイルド・アット・ハート」の紹介です。
1990年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した本作は「イレイザーヘッド」などのカルト映画とは違い、いわゆる普通のロードムービーですが、ところどころにデヴィッド・リンチ監督のスパイスのようなものがちりばめられており、何度も楽しめるような作品となっています。超有名映画「オズの魔法使い」からのオマージュがいたるところに見られ、本作を観る前にオズの魔法使いについて少し復習すると、物語の伏線や展開などさらに理解しやすくなると思います。
映画の説明
ニコラス・ケイジ演じる主人公のセイラーとローラ・ダーン演じるルーラの逃避行を描いた作品で、暴力、セックス、グロテスクといったモチーフは残されつつ、2人の恋を描く。セイラーが自由の象徴として着る蛇革のジャケットと、多すぎると感じるほどのタバコを吸う描写が彼のワイルドさをつよく象徴付けていると感じた。
感想 「心の底からWILD」
ワイルド・アット・ハートのしっくりくる和訳を探したが、完璧だと言えるものが浮かばなかった。at heart の部分は心の底から、というもので満足したが、wild には野性的、獰猛、など「ワイルド」から連想される意味の他にも、俗語でクレイジーや大胆、広く誤解されている意味での「破天荒」などもワイルドになり得る。したがって、これらの意味を包括的に含むWILDを私なりの和訳では採用した。
本作で私が感動したのはデヴィッド・リンチ監督のバランス感である。「カルトの帝王」「変態」で有名な彼はその感覚を本作でも存分に発揮し、彼のカルトを求めるファンにとって、満足できる変態性を描いている。特に、ルーラの母が顔を赤く塗るシーンやショットガンで自分の頭を吹き飛ばして頭が転がるシーンなど、グロテスクなシーンに加え、一度見たら忘れられない醜男ボビー・ペルーがルーラを脅すシーンなどトラウマティックなシーンは多くある。
しかし、それに加えて彼が今作で取り入れたのは児童向けのファンタジー作品として有名なオズの魔法使のオマージュである。ルーラが三回かかとを鳴らすシーンや彼らの目に現れる良い魔女、悪い魔女、水をかけられたことで消えてしまった母(魔女)etc..
そして何よりもこの物語自体がオズの魔法使のプロットにのっとり進行していく。目指す場所に行く過程で登場人物たちは大切なことを学んでいき、最終的に一番大切なものは近くにあると気づく。私はこの作品はデヴィッド・リンチ監督による大人向けの「オズの魔法使」であったのではないかと感じている。
人間は常に現状に満足せず、外の世界には、広い世界には新しくて魅力的なものがある、と錯覚しがちである。
確かにそれは間違っていることではないが、それによって大切なものを失ってしまうことがある。それは後悔しても2度と取り戻すことができない。
デヴィッド・リンチはこの作品を通して「足るを知る」こと、大事なもの、探しているものはいつも近くにあるということを伝えたかったのだと感じた。
Tom Nagasawa
アメリ 『パリジャンの日常』 ジャン=ピエール・ジュネ
こんにちは。
今回はフランス映画として有名な「アメリ」です。
フランスで大ヒットを記録した本作は日本でも人気を博し、好き嫌いは分かれるものの、その映像と、パリジャンの生活や人間関係などを知ることができる映画となっています。
映画の説明
「幸せになる」をキャッチコピーとして封切られたこの作品は人間関係に難があるアメリが小さなことから考え方を変えていき、少しずつ成長していく物語となっている。
フランス映画らしく、ハリウッド映画などとは違う、少しこじらせているような登場人物やユーモアが多く、アメリカ映画を多く見る人々にとってはフランス語とともに新鮮な気持ちで見ることができると思う。
感想 「パリジャンの日常」
登場人物一人一人の癖が強く、少し誇張したような部分もあるように感じるが、特別変わった人は登場せず、パリで普通に仕事をするいわゆる「普通」の人々の生活が見られる作品であると思う。
映像が美しく、また時折挿入されるCGも視覚的に訴えるものが多く、映像そのものを楽しむことに多くを割かれた作品であると言える。
特筆すべきはアメリを演じたオドレイ・トトゥである。彼女は学校に1人はいそうな、どこか不思議で目が合わないような女の子を見事に演じきっている。話し方や一挙一動に至るまで見られ方を意識しており、地に足が付いていない、いつも何か違うことを考えている空想好きな女の子というイメージが映画のパッケージの時点から強く感じられた。どこか憎めないかわいい女の子だから、彼女のする犯罪すれすれのいたずらであってもなぜか許せてしまうのだろう。
好き嫌いが分かれる映画であると思うが、本作は間違い無く、これまでの映画とは一線を画す、新ジャンルの映画であり、ハマる人には間違いなくハマると思うので女性は特に一見の価値ありだ。
Tom Nagasawa
時計じかけのオレンジ『アート』 スタンリー・キューブリック
こんにちは。
今回は「完璧主義者」で有名なスタンリー・キューブリック監督作品、時計じかけのオレンジです。
その独特な世界観やファッション、ところどころで現れる暴力シーンなど、一度見たら忘れられない作品であり、良くも悪くも見るものにトラウマを植え付けるような内容となっています。
映画の説明
舞台は荒廃した近未来であり、主人公を始めとする登場人物や街行く人々は原色を多用したうるさい服装をしている。
また、この作品を象徴する二つの音楽としてベートーヴェンの第9と「雨に唄えば」がある。どちらも音楽として聞くと非常に美しく、胸が踊るものであるが、この作品を見た後はその印象が大きく変わってしまうだろう。
感想 「アート」
私がこの作品を見終わって受けた感想はこれまでに味わったことのない想像もしていなかった「アート」を見た、というものだった。冒頭のアレックスの目のアップと荘厳な音楽とともにスタートし、天国のような場所と荘厳な音楽で終わるこの映画はまさに映画という表現方法の利点を最大限生かしている新しいアートだ。他の表現方法とは異なり、映像、音楽、脚本この3つが混ざり合い、1つ1つでは決して表現することのできないものを生み出している。特に映像という点で、人々が想像できないようなグロテスクなシーンや性描写のシーンは小説よりダイレクトに、圧倒的に私たちの脳内に飛び込んでくる。近未来的な世界観と画面を覆う原色はそれらのシーンを現実的なものとは感じさせず、これはアートであるということを強調している。
そのバックグラウンドに流れる、美しく、強い音楽もそれらのシーンをアートへと昇華させている。
脚本としては自由放任と徹底的な管理の両立は不可能というジレンマを表現しており、その中で、この作品のアートの面を強調するグロテスクなシーンや性描写を加えている。
アレックスの演技も素晴らしく、完璧主義者スタンリー・キューブリックの優れたカメラワークもプラスし、完全にこの作品の世界に入り込むことができる。
Tom Nagasawa
HANA-BI 『暴力の対義語』 北野武
こんにちは。
今回は"世界のキタノ"こと北野武監督の作品です。
本作品はヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞しており北野映画の代表作として有名です。
ジブリ音楽で有名な久石譲が音楽を手掛け、唐突な暴力シーンのバックグラウンドで流れる彼の静かで美しいメロディーは、この映画をただの暴力映画で終わらせない芸術的な側面を引き出しています。
この映画のサウンドトラックもあるのでチェックしてみてください。
映画の説明
北野武演じる、元刑事の西の逃避行を描いた作品で、彼と元同僚の友情、不治の病を患う妻との愛、そして彼自身の優しさなどがメインテーマとなっている。
キャッチコピーは「その時に抱きとめてくれる人がいますか」。
監督、脚本、演出、編集をはじめ、劇中に挿入される絵画まで北野武が手掛け、彼の多彩な才能が存分に発揮された作品となっている。
感想 「暴力の対義語」
北野映画といえば「ヤクザ」「暴力」である。この作品中でも多くの人が殺し、殺される。時には目を背けたくなるようなグロテスクなシーンもある。
私にはこの作品が北野監督が「暴力の対義語」を表現しようとした作品であると感じられた。
三省堂の反対語便覧で調べてみたが暴力の対義語(反対語)は存在しないようである。
北野監督はその度を超えた暴力を描くことによってその裏にある思いを強調したかったのだと私には感じられた。
西の妻への愛、下半身不随になった元同僚への友情、亡くなった元同僚への義理と贖罪。西自身は優しく、人間らしく、義理深く、そして誰よりも愛に溢れた人物であり、それらの感情が度を超えたとき、その真逆にある暴力というものに手を染めざるをえなかった。
両極端に見える二つの事物は実は表裏一体で、片方を極限まで持っていかなければもう片方に届くことはない。
一見するとただの暴力映画にも見えるこの作品は北野監督の暴力に振り切ることでその反対にある愛、友情、優しさ、というものを表現しようという意志が感じられた。
最後のシーンではその愛と暴力が1つになる。
そしてこの作品中に流れる久石譲の静かで美しい音楽もまた、暴力と不思議な対比があり、芸術もまた暴力の対義語になり得るように感じた。
相反する2つの極端な事物を芸術として融合し、昇華させた素晴らしい作品である。
コメントや訂正があればよろしくお願いします。
Tom Nagasawa
パリ、テキサス 『男の生き様と赤』 ”Paris,Texas”
こんにちは。
初めての投稿です。
思い入れのある小説や映画はいくつかあるのですがそれらはいずれ記事にするとして、今回は最近見た映画「パリ、テキサス」"Paris,Texas"について書きたいと思います。
映画の説明
この作品は1984年にヴィム・ヴェンダース 監督によって西ドイツ、フランス合作によって撮られた映画で一人の男の妻子との再会と別れを描いたロードムービーである。
フランス、ドイツの共同作品ということもあり、私はてっきり、フランスのパリとアメリカを旅するロードムービであると物語の中盤まで思っていた。しかし実際はパリとはテキサスの地名であり、結局登場人物はパリの写真を見るだけでテキサスのパリには一度も訪れない。
感想 「男の生き様と赤」
この作品は好き嫌いが大きく分かれると感じた。特に妻子の再会をホテルの外で見届け、トラヴィスが去るシーンは、予想はしていたが彼らには別の選択肢があったのではないかと考えさせられる。
現実的な側面から批評すると残された二人は父親がいないという状況でこれから生活することになり、精神的にも金銭的にも苦しい生活が待っている。ジェーンはまた息子を手放してしまうかもしれないし、息子にとって心がつながったと思っていた父を再びなくすことは大きなショックである。確かにトラヴィス自身にも問題があり、一緒に過ごすとまた妻子に迷惑をかけてしまうと考えたのであろうが、それらを家族全員で対処していくのが現実的には一番いい方法であると考えられる。また、爆発してしまったらその時はその時また考える。ジェーンもハンターもそれを望んでいただろう。
以上がこの映画を好まない人々の意見であろう。
確かにトラヴィスの行動は、自分が妻子のために性格を変え、苦しい思いをするぐらいなら後のことは妻に任せて、かっこいい親父のまま消えようという自分勝手なものだ。しかし、私はこの作品から、監督の考える男の生き様というものを強く感じた。やはり男は妻のためでもなくこのためでもなく、自分のために生きるものだ。たとえそれが他人に迷惑をかけてしまうことであっても。事実、監督のヴィム・ヴェンダースは1968-1993の間に5人の女性と結婚している。どれも妻と別れた年に新しい妻と結婚している。監督自身の考える理想の男性像、そしてアメリカの西部劇に出でくるような男の去り様。男性ならこの気持ちがわかるはずである。
私がこの映画を通じて強く印象に残ったのは「赤」という色である。映画の冒頭のトラヴィスの変わった赤の帽子に始まり、トラヴィスは多くのシーンで「赤」のアイテムを着用している。小さな赤い帽子に始まりジェーンを探しに行くシーンでは真っ赤なシャツを着ている。赤を着るトラヴィスからは情熱のようなものが感じられる。少しずつ赤の割合は増えていくが、最後のシーンでは彼は暗めの服を着る。彼の妻子への情熱は消えてしまったかのように。赤い夕焼けをバックに立ち去る彼はまた新しい「赤」を探しに行ったのだろうか。
この映画には回収されていない伏線が多く、全体的にぼんやりとした外観をしている。消えた4年間やトラヴィスの靴磨きへの執着、なぜ言葉を話せなかったのか、パリ、テキサスというタイトルとその土地も本編にはあまり影響を及ぼさない。
様々な捉え方ができるものこそ芸術であり、1流である。という誰かの言葉を思い出すような作品であった。
コメントや訂正があればよろしくお願いします。
Tom Nagasawa
はじめまして。永沢トムです。
こんにちは。
永沢トムと申します。
この名前はいわゆるペンネームで、「トム」はトム・フォードやトム・ブラウン、トム・クルーズなどファストネームがトムの偉大な方々(ブランド)に最大の敬意を表して拝借させていただきました。これで、もし私がファッションブランドを立ち上げてもブランドネームに困ることはないでしょう。
「永沢」も私の尊敬する方から拝借させていただきました。彼も上のセレブリティたちと同様に私が名前を使っているということには特に興味を示さないでしょう。
私はいわゆる「古典」「クラシック」な小説が好きで、映画も同様に「名作」と呼ばれる少し古いようなものを見ることが多いです。感想はその映画を見ている前提で書こうと思っています。
音楽はかなり流行を追っているつもりです。
気が向いたら更新していきます。
どうぞよろしく。
Tom Nagasawa